版木の一つをご紹介します。昔「鼻くそ丸めて萬金丹」という言葉遊びがありました。小さく黒い形状で、現在も胃腸薬・整腸剤としてあるようです。
どうやら当時は万病に功能を発揮する妙薬であったもので、寳福寺(林泉寺の末寺)の御本尊 薬師如来さまのお力により、さらに霊薬として、販売されていたようであります。
版木があるところを思うとかなりの人気があって、販売数もかなりあったのでしょうね。
萬金丹
本 加持霊薬 萬金丹 一粒四文 一色四拾文
一 第一 気のつきたる によし
一 づつう めまい 立ぐらみ によし
一 さけのよいざめ によし
一 しょくつかへ はらのいたみ によし
一 ひき風 ねびへ風 によし
一 すべて万病の妙薬なり
當山秘方薬師如来 加持霊薬功能異他
三州大濱 寳福寺製
大権修利菩薩(だいげんしゅりぼさつ)と読みます。
曹洞宗の本堂の向かって右側に、右手をかざして椅子に掛けた木像が、大権修理菩薩です。
曹洞宗だけが祀るという珍しい菩薩です。
道元禅師が宝慶3年(1227)に、如浄禅師から正法を得て帰国する際に、1人の化身が現れて、道元禅師にしたがいたいと言い。道元禅師は、身体を小さくして同行するように求めると、三寸余りの白蛇になって、応量器の中に身を入れて共に日本に来たといいます。
また、道元禅師が帰国に当たって『碧巌録』を書写しようとすると、この大権修理菩薩が現れて手助けしたといいます。これを「一夜碧巌」といいます(助筆は、「白山妙理大権現」であったという説もある)。
大権修利菩薩
こちらは林泉寺寺宝の釈迦三尊像であります。平成31年碧南市文化財に登録されました。
通常釈迦三尊像というと、お釈迦さまを中心にし、右の脇侍に象に乗った普賢菩薩、左の脇侍に獅子に乗った文殊菩薩というのが一般的であります。
普賢菩薩は慈悲の象徴、文殊菩薩は智慧の象徴であります。この慈悲と智慧はお釈迦様の教えの根本であり、この両脇侍はお釈迦様の教えの中心を現しているとも言われています。
智慧による合理的で道理にかなった普遍的な教えがあり、またそればかりではなく、臨機応変にその人に合った教えでなくてはならないのです。
釈迦三尊
版木の印刷を発注して出来上がってきた物を順次公開致します。
大部分は、林泉寺の末寺であります寳福寺(ほうふくじ)の版木印刷であります。
この寳福寺は薬師瑠璃光如来(お薬師さま)を御本尊としていることもあり、江戸時代は御祈祷済みのお薬を売っていました。今なら薬事法違反となるでしょう(笑)。
加持(かじ・御祈祷済ですよ)・霊薬(れいやく・不思議によく効く)・大濵村(おおはまむら・昔からのここの地名)・御薬調合所(おくすりちょうごうじょ・きちんとお薬作ってる場所ですよ)・寳福寺(ほうふくじ・宝の旧字)と書いてありますね。
御薬調合所
お寺同士のお付き合いに良く使用されるグッズの紹介です。
「もらすべき」と書いて可漏(かろ)と呼びます。正式にはそれぞれ拝表(はいひょう)と呼ばれる色の帯が付きます。赤(祝事)・黄または青(弔事)・白(オールマイティ)と場面によって色を使い分けます。本可漏・略可漏共に奉書紙を折ったもので、基本的にお金を包む事に利用します。漏らす物がお金とはシャレていますね。
拝表に書かれている「献香(けんこう)」と言うのは、文字通りお香を献じる(お供えする)訳ですから、本来、ご本山やご本寺、または特別に訪問するお寺などのご本尊様へお香を献じ、お参りする事です。転じて金銭で代用する事もあります。
「九拝(きゅうはい)」というのは、私はあなた様をいっぱい奉っていますよ~という意味です。
その他に、「祝賀(しゅっか、お祝い)」「香資(こうし、香典・御仏前)」「謝誼(じゃぎ、お礼)」「菓誼(かぎ、手土産)」「換菜(かんさい、御馳走料)」「問候(もんこう、人を訪ねる時)」などなど、時節をわきまえて持参します。
かろ・はいひょう
仏教各宗派でそれぞれ拠り所にしている仏様がありますが、曹洞宗では、真ん中には、お釈迦さま、向かって右側には大本山永平寺の道元禅師さま、左側には大本山総持寺の瑩山禅師さまを指します。我々の檀信徒のお仏壇もこれにならいます。もちろんご自宅のお仏壇が前述と違いましても、全く問題はありませんし、今あるお仏壇を買い替えたり、洗い直したりする時にも、以前からお祀りしていた仏様を新しくする必要はありません。ご自宅を新築したり、リフォームしても、住んでいる人を新しくしないのと同じです。
道元禅師さまのお言葉「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」
瑩山禅師さまのお言葉「茶に逢っては茶を喫し、飯に逢っては飯を喫す」
中々このような境地には遠い感じがします。
私も一句 「東へふらふら 西へふらふら 毎日毎日 惰眠を貪る」
う~む 修行が足らん!
一佛両祖
お盆に曹洞宗ではよく『お施食(せじき)』、ここ林泉寺では昔からの呼び『お施餓鬼(せがき)』法要をおつとめします。六道輪廻の餓鬼だけではなく、「三界萬霊、ありとあらゆる(目に見えないもの)」にも感謝・施しを通じて、御先祖の供養にあてるのです。その時に、お塔婆をお渡ししています。
お塔婆とは元来「ストゥーパ(仏塔)」と呼び、お釈迦様のお骨を納骨する為の建物を指しています。後に日本に渡り、お釈迦様の仏塔になぞらえてご先祖のお徳をたたえ、供養の心を簡易的な板で出来ているお塔婆で表しています。片面は供養の対象・もう片面は大日如来の梵字(大日如来様をそのものをお造りしています)。形は凸凹としていますが、これは「地・水・火・風・空(万物そのもの)」の表れです。法要後は、それぞれのお墓、又はお仏壇にお祀りしましょう。
お塔婆(卒塔婆)
我々曹洞宗の僧侶が身に着けるもので皆様の馴染みが深いものにお袈裟があります。
お袈裟にもその縫い方により七条衣・九条衣・二十五条衣などがありますが、一番簡略のものに五条衣(絡子:ラクスと読みます)があります。表側には曹洞宗の両大本山、永平寺・総持寺の紋があしらわれています。その下の部分が五つの区分で縫われていますので、五条衣と呼びます。ちなみに裏側の白い布の部分は自由に描いても良いのです。
ここには刈谷の松秀寺さまに書いて頂いた『花開必結真実(花開けば必ず真実を結ぶ):心の花が咲けば、つまり求道の心を起こせば必ず悟りを結ぶことができる。仕事に専念すれば必ずそれなりの成果を得ることができる。』という激励のお言葉を賜りました。
絡子の裏書き
古来より禅宗に好まれて絵の題材になる事が多い『寒山拾得』である。
特に自由な禅の世界を現した漢詩が有名である。掛軸としては2幅で1対となっている。中国で唐代に浙江省にある天台山の国清寺に居たとされる伝説的な風狂の僧の名である。『寒山子詩』の作者とされる。後世、拾得と共に有髪の姿で禅画の画題とされる。
拾得
寒山
腕抜き(うでぬき)と呼びます。籐製品で、サイズも大・中・小とあります。汗で着物と腕がくっついてしまうのを防いでくれます。腕抜きをすると、脇まで風が入るので、涼しく感じる事が出来ます。これからの季節は必需となります。
私は好んで装着していますが、皆がしているわけではありません。
腕抜き
- 腕抜き装着